1994年にベトナムで事業を始めた三谷産業。
現地グループ会社は7社。そしてベトナム人従業員数は約2,400人と、
グループ全体の7割を占めるまでに。
現在の三谷産業は、ベトナムなしには語れません。
1993年、当時社長だった三谷充(現 特別参与)は、海外進出を模索して
アジア各国を視察に回り、最後に訪れたのが、ベトナム。
そこは社会主義体制の国で、1986年にようやく
ドイモイ政策によって市場経済を導入したばかり。
日本とはまるで異なる社会の仕組みに、ここでいったいどのような事業が可能なのか、
見通しがつくものではありませんでした。
ところが、そこに暮らす人々は、若いエネルギーにあふれ、
今日よりも良い明日を信じる、希望に満ちた目をしていました。
「この国は、必ず大国になる。」
三谷は直感し、ベトナムへの進出を決めたのでした。
「Aureole(オレオ)」とは、フランス語で「栄光」を意味する言葉であり、三谷産業が設立してきたベトナムグループ会社の名前に共通して冠しています。
三谷産業は、1994年、ベトナムの国営関連企業と合弁で、まず、Thangloi-Aureole J/V Enterprise を設立します。日系企業の進出がまだ少ない時代の船出であり手探りで事業の可能性を見出しながら、現地でのネットワークを広げていきました。
1997年には、三谷産業グループ単独出資として初となる
Mitani Aureole Vietnam Inc.(現AMCE社)を設立。
日本でお付き合いのあったお客様のベトナムでの事業を支援するため、
現地で基礎化学品を調達・製造し、自社の配送網で販売を開始します。
その後、ベトナムの商慣習にも適応し、ベトナムの国全体の経済成長とともに、
Aureoleグループの事業分野も広がり始めました。
その結果、現在ではグループ会社は7社17拠点にまで増え、
ものづくりの拠点として、グループ全体の成長の原動力になっています。
およそ四半世紀前、日系企業の中では
非常に早い時期からベトナムに進出し、地域に根差してきました。
ここで培ったネットワークは、大きな資産です。
経済発展著しいこの国の人々とともに、
三谷産業は今後もビジネスを創出し、
今日よりも良い明日をつくっていきます。
人 口 | 約9,946万人 |
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首 都 | ハノイ |
言 語 | ベトナム語 |
主要産業 | 農林水産業、鉱工業、建築業、サービス業 |
GDP | 約4,110億米ドル |
経済成長率 | 8.02% |
※2022年の統計に基づく(外務省Webサイトより)